春の夏⑥ 過去の傷
ちょっと萎びがちなベランダのバジルに水をやった。葉っぱを軽く叩くと香ばしさがちょい足しされた爽やかな香りがする。
ノックがして秋姉ちゃんが入ってきた。
「調子、大丈夫?」
わたしは頷いた。
「散歩いかない?」
「シャワー浴びたのに?」
「また浴びればいいじゃん」
なんか、また一緒に入るっていう響きが含まれている気がした。
わたし、なに考えてんだ?
昼との気温差はあるにしても熱帯夜に違いない。帰ったら今日二度目のシャワー確定だな。なんて、趣のない事を考える。
秋姉ちゃんは目的地がないような感じで、たまに腕をブラブラさせたり、きょろきょろしたりしてダラダラと歩いている。
胸が小さいけど身長169センチでスラっとして足が長い。芸能人の森泉さんと山本美月さんを足して二で割って小数点以下を切り捨てたような顔をしている。妹が言うのもなんだけど、そこそこの美人さん。
コンビニの前でお姉ちゃんが手招きする。
香耶ちゃんがチョコモナカジャンボを買ってくれたお店だ。
ケースにかけられた断熱シートをめくってアイスを物色する。真っ先にチョコモナカジャンボが目に付いたけど、食べるなら香耶ちゃんと一緒に食べたいからわたしはPARMを選んだ。
サンダルのかかとを引きずりぎみにアイスを食べながら並んで歩いた。そして、香耶ちゃんと花火をした公園に入ってベンチに並んで座った。
そう言えば、さっき気が付いたんだけどお姉ちゃんはノーブラだった。Tシャツから乳首が浮き出てはいないけど、背中をみればブラをしていないことが分かる。ふいに、洗面所で触れたときの感触が再現されて、掌がこそばゆくなる。
「春、青春してるみたいだね」
「ダサっ」
ふいに間抜けな事を言うから反射的に憎まれ口がでた。
「取り合えずさ、してみたいって思ったことはしちゃっていいと思うよ。何かあったらまた引っ越せばいいだけだから」
なんか見透かされている感が否めない。お姉ちゃんの手元から漂ってくるメロン味のアイスバーの匂いくらいうざくて甘ったるい。でも、そんなウザさにわたしは救われてきたし、そんな甘さも好きだったりする。
わたしは東京のソープランドで有名な吉原の街に家族と住んでた。
中学二年のとき、同じクラスになったとある男子がいた。その子もわたしも似たような経験をしていた。中学一年の時にオチンチンを出した大人の男の人に追いかけられたことがある。その子が他の子に話しているのを聞いて知った。その時、その子はこう言った。「性的なことで相手に怖い思いをさせるなんて最低だ」わたしは親近感を覚えた。
その子とは写真の趣味が一緒だった。二人とも人は撮らなくて風景とかを撮ってインスタにあげていた。だからか話が合った。昔、わたしのお父さんが写真を趣味で撮っていて白黒の写真とかが家に沢山あるって話になったら、是非、見せて欲しいって言ってきた。
男の人は苦手だったけど、その子は、わたしと同じ嫌な思いをしていて、その辛さを知っている。そして真面目だったから大丈夫だって思って、家に招待した。
父の撮った写真を見ていたら、その子が、公園のベンチで男女がただ並んで座っている写真を指差して、「これやってみよう」って言い出した。机の上にスマホを置いて、向かいのソファーに並んで座って撮った。
シャッター音がする直前、わたしの手の上にその子の手が置かれた。ちょっと驚いた。顔がひきつった。たまたま触れてしまったんだ。そう思うことにした。
「うーん」その子は撮った写真を見てうなり、「もう一枚」って言った。
今度は太腿の上に手が置かれた。ショックだった。まさかっていう気持ちが強すぎてその場から動けなかった。
その子は、またその写真を見てうなり「笑顔でいこうね」って言って、今度はわたしの腰がグイって引き寄せられた。別にキスされたとか、お尻とか胸に触られたわけじゃないけど。
嫌悪という名の種が発芽をむかえそうになった。でも、悪気が全くない感じで普段通りでいるから、わたしもどうしていいのか分からなかった。
ただ、もう一緒に撮りたくない。という感覚は確かなものとして自覚できた。どこだったとしても身体に触れられたくない。
もう一枚って言われる前に、「折角だから、他の写真みたいに撮ってあげる」とか言って、男の人が一人で写っている写真を必死に捜し出して似たポーズをさせてずっと一人の写真を撮ってスマホを返した。
その子が部屋を出るとき「エッチできると思ってきたのに」って言った。玄関まで送るつもりでいたから足は止まらなかった。トキメキとはまるで違う嫌なドキドキがこみ上げた。「ごめんなさい」わたしは謝っていた。家に招待してそんな気持ちにさせてごめん。って思ったからすかさず謝罪の言葉がでたんだと思う。重くて大きなアルバムを数冊しか持っていけなくても駅前のマックにすれば良かった。こんな誤解をさせることもなかった。玄関で見送る時もまた同じ言葉を言われた。わたしは再度謝った。
学校では至って普通だった。なにも変わらないその人がいた。わたしは何もなかった事にして普通に接した。
すると一緒に撮った写真がDMに届いた。全部、わたしの顔が引きつっていた。メッセージも入っていて「エッチできるんだと思ってた」ってあの時のセリフが書いてあった。わたしはそこでも謝った。
しばらくしてメッセージが何もないその男の子の下着姿の画像だけが送られてくるようになった。最初は罪滅ぼしのつもりで当たり障りのない事を書いて返信した。
それから、学校で隣のクラスの男子がインスタに上げたその子のちょっとエッチな投稿が話題になった。それに対してあいつは「配慮がないよね。僕の投稿はセンシティブなことや、他の誰かが嫌な思いをしないか細心の注意を払っている」とかって、わたしに聞こえるところで公言した。
この人、一体なにを言ってるんだろう? わたしにしている事は何? センシティブに引っかかる事だよね? それにわたしは嫌な思いをしているよ。
そいつに対する遠慮とか、配慮とかそんな思考が全て削除された。
それからも、震災があった時に「募金した」とか自慢げに話していい奴を気取っている。その裏で、相変らず下着姿の写真を無言で送ってくる。表では正義を語ってクリーンなイメージを振りまいているくせに、裏ではこんなにも人が嫌がることをしてる。ベタな悪い政治家を見ているみたいで、うんざりしてインスタもリアルもシカトした。嫌悪という種はきっちりと発芽してあっと言う間に大木になった。
そして、夏休み前の終業式の日、学校にいくと皆がわたしをジロジロ見てきた。顔も知らない人まで「ヤバ」とか「エロ」とか「吉原ソープの女」とか言ってくる。
あいつが「皆やめろよ」って言ってわたしに近づいてきて、小さな声で「DMで警告したのに」って言った。
嫌な予感がしてDMを見たら、そいつと一緒に撮った写真のわたしだけが切り取られてアプリで加工されてヌード写真になっていた。『返事くれないと裏垢からこれ拡散するよ』って書いてあった。
皆これ見たんだ。人の気配って見えなくても感じることができるんだね。廊下にいる人の窓ガラスの向こうからくる視線さえも感じる。
わたしはスマホを放りなげた。わなわな震えた。こんな漫画みたいなリアクションを人はできるんだね。そんな風に客観視しようとしたけど、震えが止まらない。
わたしはスマホを拾って鞄に突っ込んで走って家に帰った。終業式が終わってあいつが家に来た。ずっと家の前にたって中の様子をうかがっていたそうだ。長女の冬姉ちゃんが「外にいるの友達?」って聞いてきた。そっと覗いたらあいつだった。
わたしの異変を察知した秋狼兄ちゃんと冬姉ちゃんが、ありったけのコネを使って事の次第を調べ上げた。怒り狂ったお兄ちゃんがそいつの家に怒鳴り込もうとしたのを秋姉ちゃんと冬姉ちゃんと近所のソープの女の人とか従業員の人たちまで巻き込んで必死で止めた。
結局、お姉ちゃん二人とお兄ちゃんの知り合いの弁護士でそいつの家に行って話をつけたらしい。
秋狼兄ちゃんは家のすぐ近くのソープで店長をしている。そこではお店のお姉さんのストーカーになってしまう客もいる。兄ちゃんはそんな男を何人もみてきたそうだ。
そいつの画像を見て言った。「この顔つきは筋金入りのストーカーだ。またいつか何かやらかす」って。直接会っているお姉ちゃんたちも、そんな雰囲気は感じたそうだ。
そいつがストーカーになりそうってこともあるけど、それよりも今度なにかあったら秋狼兄ちゃんが殺しちゃうんじゃないかってことの方が一番の心配事になった。
そこで秋姉ちゃんと東京を離れて、この街の今借りている部屋に二人で住むことになった。
インスタのアカウントも、アルバムフォルダの中の写真も、全部削除した。
写真には二度と写りたくない。
でも、仲良くなると高確率で言われる。「一緒に写真撮ろう」って。断ると途端に不機嫌になってしつこく理由を聞いてくる。転校したてのころに思い知った。
わたしは人と一定の距離を保つことにした。
ある時わかった。相手がわたしに対して仲良くなりたいって思っている時は写真撮るのを断わっても問題がない。だから、わたしから仲良くなろうとすることは避けてきたし、特に仲良くなりたいって思う子はいなかった。
でも、香耶ちゃんとはわたしからも仲良くなりたいって思っている。
――わたしの長い回想が終わった。
結局、香耶ちゃんにいきつくんだね。多分、わたしは香耶ちゃんのことが好きだから「一緒に写真撮ろう」って言われてそれを断って気まずい仲になりたくなかったんだろうな。ずっと考えていた事の答えがでたね。これってマウントをとったうえで仲良くしたいっていう最低な考え方だ。
やっぱり話すのはやめよう。こんな話聞いたら引くだろうし。マウントをとった上で仲良くしたいって考えの奴と仲良くなんかなれないよね。でも、ちゃんと話した方がいいのかな……。あー、わたしどうしたらいいんだろう⁉
「そろそろ帰る?」
秋姉ちゃんが立ちあがって手を差し出した。わたしは、その手を取って立ち上がった。
「ゴミくれってことだったんだけど」
わたしはPARMの棒と包に視線を送った
「別にいいじゃん」そのまま手を繋いで歩いてコンビニのゴミ箱に捨てた。
マンションの前に来て姉ちゃんがいった。
「シャワー、わたしが先ね」
今度は一緒には入らないらしい。いや、ホントわたし何考えてるんだ……
夜だっていうのに暑苦しいセミの鳴き声がする。
続く
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