『多幸感』そんな三文字熟語があるんだね。寝落ちする直前に美和先輩が発した言葉がちゃんと記憶に残ってる。
結局、明け方近くまでエッチして、いつの間にか二人とも寝ちゃってた。
枕もとの目覚まし時計によるともうすぐ10時だけど、先輩はまだ寝ているから起こさないようにそっとベッドを抜け出した。昨夜、脱ぎ落としたパンティを拾って履いてTシャツを着た。まだエッチの余韻を味わいたくて短パンは履かずにそのまま洗面所で顔を洗ってご飯の支度をする。
新婚ってこんな感じなのかな。自分で想像して勝手にくすぐったくなる。
いつでも、そしてサッパリ食べられるように、トマトのめんつゆソウメンを作っておこう。
ベランダのバジルを3枚ほど取っていると後ろから「何してるの?」って声がした。
わたしは葉っぱを振りながら「収穫です」と言ってベッド脇に膝をつき、寝起きの唇にキスをした。先輩の頬の横でわたしの指に挟んだバジルの葉が揺れる。匂いをかいだ先輩から、ちょっと恥ずかし気に空腹が申告された。
トマトのイタリアンソーメンは大好評だった。
美味しい物を一緒に食べ、シンクに並んで食器を片付け、洗面台の前で隣りに立って歯を磨いた。鏡越しに合う視線にわたしの多幸感がぐんぐんと膨らんでいく。
それから、先輩がどうしても行きたいっていうから、農園に併設されたお洒落カフェに行くことになった。前、わたしが先輩に別れを切り出したきっかけの場所だから戸惑ったけど、嫌な記憶の場所を良い思い出に上書きできた方がいいよね。
この前買ったクリーム色のキャミワンピを着て、黒のウィッグと麦わら帽子を被った。まごうことなき清楚系女子のできあがり! と、いう事にしておく。
駅近くの通りを並んで歩いている時だった。会いたくない人に会ってしまった。
先輩が出てるCMの和菓子屋の副社長さんだ……。
「おはようございます。お世話になっております」
大人な挨拶を先輩がする。
「昨日は撮影お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
すぐさま、副社長さんの視線がわたしに送られた。
声を変えて「はじめまして」と言って、過去一丁寧なお辞儀をした。
角ばったメガネの奥の目がわたしを吟味している。ウィッグの中が熱くなり、あっという間にアルデンテを通り越し、頭の中が茹ですぎなモッリーになりそう。隣の先輩からは緊張感が漂っている。
そうだ、この人は先輩の素質を見抜き、CMに抜擢した人を見る目が神ってるスカウトみたいな人だ。
やっぱりバレちゃったかもしれない。危機を察した先輩が何か言いかけたけど、あっけなく遮られた。
「いいじゃない。こういう子とお付き合いなさい」
この緊張の緩み方は半端なかった。安堵って言葉の意味を実感した15の夏。頭の中がふにゃふにゃのモルビドになるところだった。
副社長さんの乗った車が視界から消えてすぐ、微笑みあってハイタッチした。わたしたちならなんでもできちゃう気がした。多幸感がどんどん膨らんでいって頭上にある入道雲にコールド勝ちを収めそうなくらいに大きくなった。
これならあの場所も良い思い出の場所に塗り替えられる。
わたし達はカフェのデッキで、ヨーグルトと採れたての桃で作られたスムージーを楽しんだ。そうしたら店員の女の人が来た。なんとなく見覚えがあるその人は、ペコペコしながら先輩にむかって色紙を出した。
「プライベートで来てくれているのにすいません。宛名は、万知子さんへってお願いします」ってどんな漢字なのかを説明すると「CM観てめっちゃファンになっちゃって」と付け足した。
先輩がサインをしてる時だった。エプロンをつけながらわたしの良く知っている人がきた。
「万知子ちゃん、ダメだって」
「香耶ももらったら?」
そう、サインを受け取った女の人の斜め後ろに居て服を引っ張っているのは香耶ちゃんだった。そう言えば香耶ちゃん家は果樹園だった。ここだったんだ……。
この女の人の事も思い出した。香耶ちゃんとドンキに居て、胸触ってめっちゃ楽しそうにしてた人だ。
香耶ちゃんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「美和先輩、すみません」
「いいよいいよ。顔合わせるの久しぶりだね」
―― そっか、美和先輩、香耶ちゃんの事知っていても不思議じゃない。あ、前お見舞いで持ってきてくれた桃ってここの桃だったのか。
「アルバイトの人なの?」
「あ、従姉なんです。夏休みのヘルプで」
―― 従姉。。。。。。わたし誤解してたって事?
考えることをわたしの頭はやめてしまった。こんな展開についていけるほど柔軟じゃないよ。
「ねえ、香耶もサインもらいなよ」
「私、もう持ってるから」
「じゃなくてほら、あんたの付き合ってる子が美和ちゃんの大ファンなんでしょ」
―― え。
「あ、そうなんだ。いいですよ」
先輩は微笑んで色紙を受け取ってペンのフタを外した。
「宛名は誰さんですか?」
名前は言わないで欲しい。他の事は何一つ考えられないけど、それだけが頭の中を独り占めしてる。
「じゃあ、春ちゃんへ、でお願いします」
続く
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