春の夏⑮ 訪問者
食事って摂らなくても意外といけるんだと実感している、引きこもり生活4日目を迎えるわたしです。一昨日から秋姉ちゃんが心配している。このことについては申し訳ないと思うけど、どうにもならない思春期ゆえの制御不能。
そんな午前十時半、ノックがしてお姉ちゃんが顔をのぞかせて言った。
「ギャルみたいな田中さんがお見舞いにきた」
ギャルの田中? お見舞い? まるで意味が分からない。そんな知り合いは居ないし、なんでお見舞いなのだろう? バイト先のピザ屋さんには体調不良でお休みの連絡をしたけど、ギャルも居ないし田中さんも居ない。
「なんか分かんないけど、帰ってもらって」
「えー、お見舞いの桃受け取っちゃったんだから、ちょっとだけ会いなよ」
「誰か分かんないし、会いたくない」
ため息があってドアが閉まった。
そして、お昼過ぎだった。強いノックと共にお姉ちゃんが入ってきた。
「うるさいな」
「ねえさっきのギャルみたいな人。外にいるんだけど」
「え?」
サッシを開けベランダから身を乗り出して見る。
「誰か分からない? 礼儀のしっかりした子だけど」
三階から見下ろしてるから日傘しか見えない。
「二時間もずっとああしてるんじゃない。ほっとけないから入ってもらうよ」
そう言ってお姉ちゃんは外に出て日傘に話しかけた。
部屋のドアが開いて熱気をまとった金髪の女の人が入ってきた。
「春ちゃん、大丈夫なの?」
聞き覚えのある声。柑橘系の香り。これって美和先輩?
「ど、どうしたんですか!」
「それはこっちのセリフだよ」
美和先輩はわたしにLINEを何度も送ったらしい。電話もしたけど、つながらないからバイト先のピザ屋に行ったら体調不良でお休みだと言われ、それで心配になって来たそうだ。
そういえば、スマホの電源がいつの間にか切れていたみたいだ。少なくとも2日前から。
お姉ちゃんが、冷たいおしぼりと冷えピタと氷がたっぷり入った麦茶と、今さっきコンビニで買ってきたカップのバニラアイスを持ってきた。
先輩はニコニコしながらそれら全部を受け取った。
そして、金髪のウィッグを外しながら言った。
「頭、むれむれ。この前は春ちゃんも大変だったよね」
麦茶を一気に飲み干し、うなじにおしぼり、おでこに冷えピタをあて、アイスのフタをめくりながら言った。
「わたしさ、やっぱり諦めきれない」
え? 思わず頬がゆるんだ。幸いなことに先輩の視線は手元のアイスにある。
「で、色々と整理した」
演技のレッスンには行くけど、ダンスは東京には行かずに市内に変更。書道教室は一時休止してその分、水墨画の練習。そんな感じにすれば無理なく時間はできる。もちろん夢はあきらめないし、チャンスがきたらそれを一番に考える。
その上で、と前置きしてわたしの顔をじっと見つめて言った。
「春ちゃん、私と付き合って欲しい」
えと、えと、えと……。この前、あれだけのお別れを演じたのに、どうなってるんだろう。
なんだか目頭にじんわりとしたものが溜まっていく。
「先輩……」
思い切って聞いてみる。
「そこまでして、どうして、わたしなんですか?」
先輩はちょっと上に視線をおくってから頷き、教えてくれた。
わたしが中学三年の時、学校の友達と歩きながらアイドルの坂道グループの中で誰が一番好き? って話になって、わたしが「田中美和」って答えたら誰それって言われて、あの和菓子のCMに出てる人だよって言ったら、坂道グループじゃないし、そもそもアイドルじゃないじゃんって言われて、それでも田中美和って言い続けた。そのやり取りを先輩は後ろで聞いていたそうだ。
そして、田中美和なら地元だし、高校も分かるから待ち伏せとかしたら? って言われて、「それじゃあただのファンじゃん。普通に出会って恋に落ちたい」って返したそうだ。
「でね、春ちゃん、最後になんて言ったか覚えてる?」
ニヤニヤしながら先輩が聞いてきた。
まさか田中美和でオナニーしているなんて言ってないよね。それはいくらなんでも言ってないよね。
「その時ね、春ちゃん、こう言ったの。田中美和になら抱かれてもいいって」
思い出したというか、思い出してはいないけど、それは充分にあり得る。
「そうしたら同じ高校に春ちゃんが来て、それからずっと見てたよ。声掛けたかったけどそうはしなかった。もしも運命があるなら、自然な形で会えるって思ってたから」
そして、わたしたちは美和先輩が通う書道教室の前で偶然に出会ったんだね。
何もしていないのに涙が出てくる。
鼻をすすりながら言った。「先輩、宜しくお願いします」
優しい掌が頭を撫でてくれた。
ノックがして、またしても秋姉ちゃんが入ってきた。桃が乗ったお皿を手に。
「頂いた桃も冷え……」
お姉ちゃんが停止した。
引きこもりになった妹は涙を流しているし、その頭をさっきまで金髪だった黒髪の先輩が撫でているし。
「ごめん。お姉ちゃん、青春してた」
「あ、そ、そうなんだ。あ、これ。一切れもらったけどメチャ美味しいですね」
「地元の宮下農園さんの桃なんです。あ、春ちゃん、この前行ったカフェやってるのが宮下農園さん」
いつ引き上げたらいいのかタイミングを逃してしまった姉に向かって言った。
「お姉ちゃん、わたし、もう大丈夫」
秋姉ちゃんは、嬉しそうに微笑むと先輩に向かって「ごゆっくり」と言って出て行った。
先輩は、お姉ちゃんに向かって丁寧に会釈をすると、「春ちゃんも食べてみて」そう言ってフォークに刺した桃をわたしの口元に差し出した。久しぶりに口にした固形物は冷たくて甘くてほんのりと酸味があった。飲み込んだ瞬間から身体に栄養が沁みわたっていく感覚がした。
先輩は金髪のウィッグを被って偽ギャルに変身した。言い忘れたけど、服もメイクもなっていない。今度ギャル講習しなくちゃ。
駅まで一緒に歩いた。こんな日がまた来るなんて思ってもいなかった。青い空には白い月が浮かんでいる。
続く
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