くすんだレンガ色をした建物は、壁の一面が大きなガラス貼りになっている。門から正面口まで真っすぐに伸びた遊歩道の脇には、なんの木か知らない広葉樹が教科書に描かれた遠近法みたく綺麗に並んでいる。美術館に来るのは1ヶ月前に美和先輩と水墨画展を見に来て以来、これで二回目だ。
感傷に浸るためにきたんじゃなくて、実習生の提案で本日、土曜日に美術部員こぞってくることになってしまった。わたしは週5にされた部活をバイトで2回休んだからほぼ強制的にこなければいけなくなった。断ることもできたけど、そうしなかったのは、浮世絵に、というよりも版画に興味がわいたから。
浮世絵って紙に絵を描くやつだけじゃなくて、いわゆる版画が多いそうだ。あの実習生が部活で説明して知った。その時に版画の工程を紹介する動画を観て惹かれてしまった。木版を彫刻刀でただ削るだけではなく、時には切るような、時には挿していくような作業の繊細さをカッコいいと思った。色付けも紙に押し付ければいいって事じゃなくて、馬簾で擦る力の入れ具合も仕上がりに影響がでるという。何度も重ね摺りをすることで絵に深みをだす。こんなに工程があることを知らなかった。そんな手間暇のかかる版画の世界に尊さを感じたわたしです。
それにしても、こんなに美術部には人がいたのか? 11人まで数えてメンドクサイからカウントするのを止めた。倍くらいいるかもしれない。あらためて実習生の人気の高さを思い知る。薄いグリーンのパンツにレースの白いブラウスで、ちょっとだけ大人っぽい。大きな人は避けがちな膨張色のコーディネートなのに、すらっとしているからか、お洒落に見える。髪も毛先を少し遊ばせているし、メイクがいつもと違うから唇も野暮ったく見えない。学校とは違った雰囲気がしている。
それはともかく、バレーボール部の人が一人紛れ込んでいる。中学時代のジャージだと思われる半パンに、よく分からないキャラクターがプリントされたダサいTシャツ。最悪なのがショッキングピンクの真新しいクロックスっぽいサンダル。鼻筋が通った美人なのに残念だ。
館内は快適な温度だった。版画ではない浮世絵から始まって、版画の浮世絵、浮世絵ではない版画の順路になっている。
「瑞希先輩、浮世絵ってどうやって楽しむんですか?」
大理石のホールに声が響いた。反射的に顔を向けると、バレーボール部の人が実習生の手首をつかんで順路の入口に向かっている。美術部員を差し置いて独占しようとしているようだ。皆がその後に続いていく。
一通り見て回り、最後の版画コーナーでわたしの足が止まった。そこには青い空に浮かぶ夏の雲が描かれていた。まるで写真のようだった。版画コーナーと書いていなかったら写真だと思って疑わないだろう。版画で作ることができるなんて到底思えない。どうやったらこんな画になるんだろうか。水墨画で描かれた雲とはまた違う繊細な美を感じる。
いつまでも動かないわたしに部活で良く顔を合わせる人が声を掛けてきた。
「もう解散するって言ってますよ」いつの間にか全員がロビーに出ていた。
「皆でお茶しませんか?」ってあの二年の人が実習生に言ってるのが聞こえた。バレーボール部の人が大きな声で賛成の声をあげると「他の人の迷惑ですよ」って実習生が皆を外に誘導した。
いやな予感がしたので、わたしはそっと館内に留まった。自動ドアが閉じる直前に「集合写真撮ろう」っていう声が聞こえた。予感的中。避難成功。わたしが居ない事に気が付いたとしても誰も気にしないだろう。
皆が写真を撮って門に向かって歩いていく。その姿を確認して展示スペースに戻った。あの雲の版画をもう一度見たかった。でも順路にそってゆっくりと鑑賞した。時間はまだある。一枚一枚じっくりと見てみる。そして、勿体付けて、最後にあの雲の版画の前で足を止めた。
なんて綺麗なんだろう。写真ではない証拠を探そうとするかのように凝視したけれど、手がかりはなかった。少し離れて背もたれのないソファーに座って見つめたりもした。この版画は何か感じるものがある気がする。そういえば実習生の人が「感じる、味わう」って言ってた。感じるはあるみたいだけど、味わってはいない。いや、これだけ見入るってことは味わっているのか?
録音されたものであろう女の人の声が閉館のお知らせを読み上げている。名残惜しいけど帰るとするか、でももう一度だけ見てみよう。その版画の正面に立って見つめた。
「しっかり味わっていますね」
知っている声がした。振り向くと実習生の人が立っていた。
「閉館ですって」
わたしの視線は実習生の後方を確認している。他の人たちは誰もいなかった。
「30分くらい前に解散しました」
それはどうでもいいんだけど、この人はどうしてここに居るんだろう?
すると、小さな封筒が差し出された。この美術館のロゴが入っている。
「なんですか?」
「記念にどうぞ」
取り合えず開けてみた。目の前にある版画の縮小版、ポストカードが一枚入っていた。
「え、どうして?」
「さっきカフェでちょっとだけ多く出しました。夏月さんは居なかったので不公平になります。その補填ということで個別にお茶に誘っても来てくれないだろうと思いました。あと、ずっとこの版画を見ていたのでこれにしました」
二つの疑問に対して即座に答えがきた。本当になんだろうかこの人。思わずじっと観察してしまう。
もう一つ、疑問が浮上した。わたしがここに居るって分かっていたんだろうか? 二時間近く経ってるからここに居る保証なんてないのにわざわざ戻ってきたのだろうか?
流石に無言の疑問には答えはなく、黙って見つめるわたしに例のクシャってした笑顔が向けられた。
続く
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