春の夏⑬ それぞれの想い
なかなか寝付けなかった昨日の夜。LINEの受信音をマックスにしておいたけど、鳴った気配がない。念の為スマホを見たけど美和先輩のトークは無言のままだ。
やっぱり終わりかな。これが喪失感ってやつなのかな。目は覚めているんだけど、ベッドから出るのがメンドクサイ。どうやらわたしの気力は家出をしたらしい。
玄関のチャイムが雑に、そして立て続けに鳴らされた。お姉ちゃんが対応している。朝っぱらからなんだろう? と言っても10時半ちょっと前。そろそろベッドから出るか。
ノックがして秋姉ちゃんが入ってきた。
「春にバイク便」その後に先輩の名前が告げられた。
何か忘れ物したかな? それにしてもバイク便って、なんだろ? とりあえず開けてみる。柑橘系の香りがした。先輩が着ていた清楚な白のワンピースと黒髪のウイッグが入っている。見計らったかのようにLINEがきた。
『デートの約束は守ってもらうからね』
わたしのほっぺが口角をめいっぱい持ち上げる。そういう作戦か。さすが美和先輩。わたしの気力は颯爽と帰還した。
ランジェリーボックスの引き出しを開けて、昨日しまったばかりのシュシュを出す。この白いワンピースに合うかな? っていうか、この服わたしに合う?
お姉ちゃんがご飯食べなって言っているのを適当に流して、わたしは先輩が送ってくれた服を着てみた。なんだろな、この違和感。何かのコスプレに失敗した痛い15歳に見える。取り合えずウィッグも被ってみる。
さっきよりはましになった。別人とは言えないけれど、ぱっと見わたしだと分かる人もいないだろうから上出来だ。
あ、靴どうしよ。黒のスニーカーかクロックスのサンダルかローファー……。どれもこの服には合わないよ。
困った時のドンキがこの街にはある。厚底のウェッジソールサンダルを、貯めたバイト代を奮発して買った。ふと見たら麦わら帽子が百円で売っている。もう一度レジに並んだ。
早歩きで帰宅して、もう一度、先輩の匂いをまとい、部屋の中なんだけど、サンダルも履いてみた。シュシュで髪は束ねないほうがよさそうだ。折角だから手首に付けていく。女優帽のつもりで麦わら帽子も被ってみる。かなり別人。っていうか顔が隠れているだけなんだけど。これなら誰にも分からないだろう。
姿見の中に清楚をまとってウキウキを隠した新しいわたしがいる。早く明日にならないかな。
美術館前のバス停に先輩は立っていた。小さな窓越しだから服は見えないはずなのに、わたしに向かって手を振っている。
「よく分かりましたね」
「春ちゃんなら、どこにいても絶対に見つける自信ある」
恋愛ドラマのセリフみたいだけど、わたしを嬉しくさせてくれる言葉だ。初めてのデートのカップルってこんな感じなのかな。
わたしたちは館内に入った。個展ではなく、様々な人の水墨画が展示してある。風景だけじゃなく動物や花や人や、四コマ漫画まである。吹き出しの文字が達筆過ぎて読めないんだけど、その発想力と絵の面白さに声を出さないようにして二人で笑った。
色も黒だけだと思っていたけどそうじゃなかった。水墨画って意外となんでも有りなんだね。でも、わたしはやっぱり黒い墨だけで描かれた雲の絵が好きだな。他と比べて長く足が止まる。隣に並んだ先輩に聞いてみる。
「先輩にとっての水墨画、何か思いつきましたか?」
「にわか仕込みの私にはまだまだ見えてこないなー。連想するものはあるんだけどね」
連想? それが何かと聞いてみた。
「好きな人。春ちゃんだよ」
なんだかくすぐったくなる。こういうのを幸せっていうのかな。
美術館の次は果樹園に併設されたウッドデッキのあるおしゃれなカフェに行った。
充実のデートだ。この前の副社長さんの事はリセットしちゃお。問題はわたしの見た目なんだから、こうしていたら問題ないじゃん。この変装作戦は大成功だね。
そして、わたしは名案を思い付いた。
「わたしの服貸すんで今度は先輩が変装して下さい」
「あー、それ面白いかもね。金髪のウィッグ買っちゃおー」
「ギャル役するのにいいかもですね。そう言えば、オーディションでギャル役上手くできました?」
「あー、あのさ……春ちゃん、実は」
先輩は最終審査に進めなかった事を打ち明けてくれた。あと、演技の審査でギャル役をするっていうのは嘘で、あの台本は先輩が自分で書いたものだってことも教えてくれた。
「ごめんね。私、最低だよね」
嘘をつかれたとか騙されたとかいう感覚はまるでない。逆に、そうまでしてわたしなんかと居たいって思ってくれたんだ。っていう前向きな気持ちしかない。わたしを誘いたくて、そして、わたしとキスしたくてあの台本を書いたのかって思うと胸に何かがこみ上げてくる。この人はこんなにもわたしを想ってくれている。
「そんな事してたからダメだったんだろうね。このまま辞めようかな……」
「え……」
「限界も感じてたんだ。それに、辞めたら何も気にしないで春ちゃんとも会えるよね」
「………………」
わたしの声帯は無力化された。なにかを伝えたい気持ちは溢れるほどあるのにその何かが分からないから言葉がでてこない。
「でも、なんか、悔しいな……」
そう言って目を伏せた直後に涙が落ちた。テーブルの上に置いてある握られた手の親指がその粒をはじいた。
カフェを出たところで同じ歳くらいの女の人が先輩を呼び止めた。
「美和ちゃん!」
先輩は目を見開いて首を軽く傾げた。
「やっぱり美和ちゃんだ!」
女の人は手を小刻みかつ高速に振りながら駆けてきた。この人は美和先輩のファンだった。ブログを始めてかなり早い段階からコメントしてきた人らしい。
「あなたがユキチャミさん⁉ 覚えてます!」
ハキハキした元気な声、伸びた背筋、作られていない笑顔。先輩の全部がハリを帯びていく。わたしは気配を消しながらちょっとずつ距離をとった。
ユキチャミさんは、CMの動画は全部ダウンロードしてあるって言ってスマホを見せたり、先輩がモデルをしたチラシの切り抜きが貼られた手帳を出したりして大ファンだよアピールをする。そして、田中美和の事を好きな理由をいくつも並べたてた。
ファンの人と夢の話をする先輩の姿が、あの朝、素敵に感じた横顔と重なった。その時、感じたことを言葉にすると、先輩はわたしなんかよりも断然に高いステージにいるという事だ。この時点でわたしは薄々分かっていたんだろうな。
それから、わたしたちは、どこに行くって決めずに歩きだした。
「春ちゃん、わたし頑張ってみる」
先輩はしっかりと自分を取り戻した。わたしも恨めしいほどの自分が戻ってきた。
来たことも通りかかったこともない、ベンチが二つしかない、そして誰もいない無機質な公園スペースにわたしは入った。遅れて先輩がついてくる。
「春ちゃん、どうしたの?」
「先輩、あのゲームしましょっか」
「ゲーム?」
「まばたき二回のやつです」
「うん、いいよ」満面の笑みで応えが返ってくる。
「アイドルになりたいですか?」
まばたきをせずに先輩が笑顔でYesと答える。
「夢を叶えたいですか?」
少しだけ笑みが減った「はい」が返ってくる。
「もう諦めたりしませんか?」
笑みが無くなった先輩の顔が頷く。
「ねえ、春ちゃん、どうしたの?」
構わず続ける。
「わたしが居ても叶えられますか?」
一瞬、先輩の全部が止まった。そして、全力で否定してきた。
「春ちゃんが邪魔なんて思ったこと一度もないよ」
「なんか、わたし、メンドクサクなっちゃって」
「ウソ。なんでそんなウソつくの?」
「ウソついてないです」
帽子を脱いでウィッグを取って先輩に返した。
「服は、後で送ります」
わたしが渡したウイッグを見て言った。
「終わりにしたいってこと?」
わたしは頷いた。
「ウソだ」
首を横にふる。
「ウソ、ウソだよ」
もっと強く首を横にふる。
「夢を叶えたいんですよね?」
「春ちゃんのせいじゃないよ。さっきの撤回。わたしの努力が足りなかっただけ」
「努力したら会う時間なくなりますよ」
「睡眠時間調整する」
「身体壊しますよ。そんな先輩の姿から元気もらえる人なんていないんじゃないですか?」
「春ちゃん、イやだよ。こんなのイやだよ」
先輩の目からさっきよりも大粒の涙が、さっきよりもいっぱい零れる。
お願いだから泣かないで。気持ちが抑えられなくなる――。
「メジャーになる先輩の隣にはわたしの居場所はないし、そこに行かずにこんな中途半端な田舎でくすぶってる田中美和になんの魅力も感じないんで」
言い切った。
でも、これ以上の強がりは無理。これがわたしのメイッパイのさようなら。
「春ちゃん! 待ってよ」
ピタっと足が止まった。まだなんか言われたら、今の全部なかった事にしたい自分を振り切る自信ない。
「これで終わって悲しくない? 私は、私は悲しいよ。イやだよ。終わりなんてイやだよ。春ちゃんは、これで終わりでいいの?」
涙がこぼれないように、下のまぶたに力をこめて振り向いた。
涙がこぼれないように、アゴを上げて二度頷いた。
ウソだって分かっているはずだけど、先輩はもう何も言わなかった。
涙がこぼれそうになったから、麦わら帽子をぐっと下げて振り向いて歩き出した。
先輩の足音が二、三歩追いかけてきて立ち止まった。
地面にボタボタ落ちたわたしの涙を猛暑が片っ端から証拠隠滅していく。
勿体ない事に、欲望のままに生きられない15のわたし。
柔らかくて優しくて眩しい、夏の空のモコモコした真っ白な雲に包まれたような、美和先輩と過ごした時間の全部が本当に心地よかった――――。
続く
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