💞L恋小説 春の晩夏28💞 語られた過去
部屋の壁に掛かっているまん丸い時計が十二時を示している。始まりのキスが九時ちょっと前だから三時間近くもエッチしていたらしい。エロスの神様も呆れ果てているに違いない。
わたしを後ろから抱きしめている瑞希ちゃんが「何か飲む?」って言いながら少しだけ身体を離した。
「うん。あとトイレ貸して」
バスルームとトイレのスイッチは同じ場所にあって下のスイッチを確認せずに点けていた。わたしはこの部屋に馴染んでいるんだって自覚する。
熱気の消えていない部屋に戻ると、よく冷えたミネラルウォーターの入ったグラスを渡してくれた。
「静かだね」
「ええ」
カーテンと窓を瑞希ちゃんが開ける。山の上の雲が月に照らされて水墨画のような青い静寂を放っている。
不意にこの状態には相応しくない人が頭に浮かぶ。美和先輩だ。
今日も出かける時、秋姉ちゃんが観ていたテレビのCMにでていた。気遣いなんてしなくていいのにお姉ちゃんは慌ててチャンネルを替える。でも、しっかりと目に入ったし、声も聞こえた。それに一人でテレビを観ていた時にすでに見ている。CMは今月の1日から新しいものに切り替わっていた。シンガポールに行く直前に撮ったやつだろう。わたしの記憶の先輩と全く同じ田中美和がいた。その姿を見てもなんとも思わない時もあれば、急に何かが溢れてくることもあって、わたしの中では読みかけのまま閉じた本みたいな存在だ。
―― わたしは何を考えているんだろう?
ついさっきまであんなにいっぱい瑞希ちゃんとエッチしたのに。今、隣りには瑞希ちゃんがいるのに。
そう言えば、美和先輩の家にお泊りした時に香耶ちゃんの事を考えた事があった。なんだろうな? そこに居ない人のことを思ったりするのは。
「考え事ですか?」
たまにとっちらかるわたしの思考が中断された。なんて答えたらいいのか分からないから首を横にふる。ささやかな誤魔化しのようだけど大きな嘘をついた気分だ。
瑞希ちゃんがグラスをテーブルに置いて立ちあがり、棚の隅っこに追いやられた浮世絵の本を手にした。ベッドに寄りかかって座っているわたしの隣りに腰を下ろしてページをめくる。そこには雨の中、橋の上を行きかう人たちが描かれた歌川広重の『大はしあたけの夕立』が載っていた。瑞希ちゃんが静かに深い息をした。
「お話に付き合ってもらえますか?」
まばたきと一緒に頷いた。
瑞希ちゃんが話し出したのは、出会った日の放課後、香耶ちゃんの事でショックを受けて土砂降りの雨の中を、わたしが歩いていた時のこと。コンビニから傘を開きながら出てきた瑞希ちゃんと目が合いながらも声をかけてもくれなかったその理由につながる話だった。
大きいけど繊細な手が、持て余しているようにグラスを何度も傾けてから話が始まった。
「私が高校一年生の時、仲の良かった人がいました。同じクラスの女子です。ギャルではありませんが少し悪ぶった人でした」
意外といえば意外。ていうか瑞希ちゃんの過去を想像したことがなかった。わたしは小さく頷いてこの話を聞く気持ちがちゃんとできたことを示した。
瑞希ちゃんの手のグラスはテーブルの上に置かれた。
「私は一年で既にレギュラーでした。特待生でした。小学生の時からずっとバレーボールだけの生活でした。でも一度だけ、その子と部活をサボって花火を見に行ったんです。この前、軽トラックで一緒に行った川です。そこで私たちはキスをしてしまいました。ファーストキスでした」
―― わたしと香耶ちゃんと同じだ。
瑞希ちゃんは頭の中を確認するように斜め上に視線を投げて戻しながら頷くと、続きを話し始めた。
「その人は中型のバイクに乗っていて、私を送ってくれました。寮の近くで降ろす時に三年生に見られてしまいました。次の日、部活の時に呼ばれました。てっきりサボったことを責められると思っていたら、その子と金輪際付き合うなと言われました。当時のバレーボール部は全国大会でもベスト8に入る強豪校でした。問題を起こすことは断じて許されない状況でした。LINEもその場で無理やりブロックさせられました。少し目立つだけで悪い子ではありません。そう言ったのですが、分かってもらえませんでした。先輩や監督に反抗したのは、その時が最初で最後でした。スポーツ万能で本当に頭の良い人でした。艶のある長い黒髪が似合う人でした。私は彼女に憧れていました。中島美嘉さんの『朧月夜』を教えてくれたのも彼女です」
瑞希ちゃんの意識は窓の向こう、春になると黄色い花で埋め尽くされる菜の花畑の上空にいるかのようだった。当時に戻り切らず、わたしに説明するために記憶から引き出して冷静な場所から話している。
「二学期が始まったのにその人は学校に来ませんでした。これも後から知ったのですが、彼女は停学処分を受けていました。校則違反の中型免許を持っている事、交通違反である免許取得から一年未満で二人乗りをしたこと。これを誰かが報告して停学になったそうです。停学が解けたのは二週間後でした。学校に来た彼女は髪を金色に染めていました。私とは一度も目を合わせてくれませんでした。当然ですよね。なんの前触れもなく一方的にLINEをブロックしたのですから」
瑞希ちゃんが目線を落としてもどかしそうに指をもじもじさせる。わたしは居場所を失くしていたこの手のグラスをテーブルの上に置いて背筋を伸ばし直した。
「そして三日後に、偶然下駄箱で会って私は慌てて声を掛けました。『どうして髪を染めたの?』他にいうべき言葉があったはずなのに、何故、それが第一声なのか自分でも不思議です。綺麗な黒髪が金髪になったことがショックだったからかもしれません」
わたしも瑞希ちゃんから同じこと聞かれたっけ。
「無視された?」
瑞希ちゃんはアゴの先から首を横に振った。
「彼女は私の顔は見ずに靴を履きながら『アメリカに行くから』って言いました」
「は? なにそれ?」
「からかわれているのかと思いました。染めた理由になんてなっていません。でも学校を辞めて本当にアメリカに行ってしまいました」
「マジ理解できないんだけど……」
「その出発の前日です。コンビニから出ると彼女が夕立雨の中、ずぶ濡れになって歩いていたんです。お店から出て傘を開こうとした時に気が付いて目が合いました。彼女は顔を逸らしてそのまま通り過ぎようとしました。一歩踏み出した時、後ろにいた先輩に引っ張り戻されました。『分かってるよね?』って言われました。この時、バレー部を退部しようと思いました。しがらみを解いて彼女を追いかけようと思いました。口が開きかけた時、『特待生の立場、分かってるかって言ったの』そう言われました。ジャージの裾を掴んでいる先輩の手を振り解く勇気がありませんでした。その出来事と、あの時のあなたが重なってしまいました。フラッシュバックして言葉が出てきませんでした。私の足が地面から離れてくれませんでした。後ろに引き戻すものなどないのに……」
瑞希ちゃんは膝の上で開かれた浮世絵の雨をなぞるように指を動かしながらつぶやいた。「ごめんなさい」
その言葉はわたしに言ったのかその人に向けて言ったのかは分からないけど、どっちでもいい。わたしは息を吸い込みながら唇を口の中に閉まって、その愚かな『どっち?』を封じ込めた。
「あ、勘違いしないでください。あなたはその人の代わりではありません。断じて」
瑞希ちゃんの意識がわたしの隣りに戻ってきた。わたしはありったけの穏やかさで頷いてみせた。
「その人とはそれっきり?」
「ええ。あ、でも後日譚が一つだけあります」
「ごじつたん?」
「話が一区切りついた。その後の話のことです」
瑞希ちゃんは立ち上がって机の引き出しから何かを取りだした。
ジップ付の袋の中に更にクリアファイルが入っていて紙切れが一枚大切に保存されていた。
「次の日学校に行くと机の中に入っていました」
差し出されたそれを大事に受け取った。紙はノートの切れ端で『分かっているから気にしないで』そう書かれていた。
「きっとあの日、誰も居なくなった教室にきて私の机の中に入れたんだと思います」
瑞希ちゃんが窓辺に立って遠くを見つめた。
「誰かに話したのは初めてです」
月光が、逞しいはずの瑞希ちゃんの肩を繊細な作り物のように見せている。
裸の背中に右の頬を押し付けるようにして抱き着いた。
瑞希ちゃんの過去の哀しみを共有できたことが嬉しかった。身体だけじゃなくて心も解け合えたような気になる。
山に近いからか外の空気が少しひんやりする。そろそろ秋になるのかな。
続く
下のボタンのタップ(クリック)で応援受付中です!
このボタンをタップしますと、わたしのプロフィールが表示されます。画像のちょっと下にファンレターを送るというボタンがあります。文は書いても書かなくても大丈夫です。そこから支援を受け付けております。100円からご利用頂けます。ブログの維持費にあてることができるので、宜しくお願いします!
※ 画像と記事は関係ありません。画像はAIアプリを使って生成したものです。
