誰かの恋に付き合うなんて初めてだった。
わたしだけが新田さんの想いとその行動の殆どを知っている。自分の意志じゃなかった部分は大きいけど、少なくとも今は一緒に青春している感覚になっている。
すっかり辺りが暗くなった。遠くに見える山が真っ黒な影になった。農家さんももう居ないし、秋っぽい虫の声が沢山聞こえている。
新田さんの肩の上下が小さくなってきた。一旦ベンチに座った。水でも買おうかと思ったけどスカートをぎゅってつかまれているからさっき買ったピーチネクターのフタを開けて渡した。
「ぬるくなっちゃった。かなり甘いから注意して」って言ってる最中に新田さんは一気に飲み干して何度もむせた。
「うわ、ホントだ。喉、喉っ」
「だから言ったのに、っていうか言い切る前に飲み干すってどんだけ渇いてんの」
新田さんがちょっとだけ笑った。少し落ち着いてきたみたいだ。
瑞希ちゃんの誤解を早く解きたいけど、今は新田さんが心配だから家まで一緒について行った。
すると待ち構えていた小母さんがさっきの山盛りハンバーグをもってきた。
「食欲ない」
「あら珍しい。男の子にフラれたの?」
半分正解。
新田さんは不機嫌な顔を何度もふった。
「春ちゃん、よく来たね。今日も送ってくからゆっくりして」
「いえもうホントにお気遣いなく」
「若いのに遠慮しない」
小母さんはわたしにお盆を押し付けて戻って行った。
「春ちゃん食べて」
「この状況で一人で食べるなんてムリだよ。ちょっとでも一緒に食べよ。小母さんが折角作ってくれたんだし、ね?」
新田さんが頷いて箸をハンバーグに伸ばした。刺したハンバーグから垂れたソースが卸したての白いシャツに零れ落ちた。
「あ……」抑揚のないリアクションがまだまだ立ち直っていないことを証明している。
急いでティッシュを取って拭いてあげたけど、ちょっと薄くなるだけだ。仕方ないから小母さんから食器用洗剤を借りてきて洗面台で手洗いした。
すると新田さんが後ろに立ってわたしの手元を覗き込んだ。
「なんでこんなに優しいの?」子供が母親に甘えるような声のトーンだった。
「え、なんでって言われても、これ普通だと思う」
いや、普段ならここまでしないかも。罪滅ぼし込みの行動かもしれない。でも、一緒に買いに行ったシャツだし、わたしなりに新田さんのこの恋には思い入れもある。相手が瑞希ちゃんじゃなかったらって心から思う。
突然、いや、微かに予感はしていた。後ろから抱きしめられた。
身体の自由を手に入れたかったのか、新田さんと向き合いたかったのか定かでないけど、わたしは90度、回転した。
新田さんが見つめてきた。腰に手が回ってきて下半身を押し付けるようにして抱き寄せられた。2センチ違いの身長で、足の長さも同じ位なわたしたちのおへその下にある固い部分同士が当たっている。
これって、ヤバイ感じかもしれない。そう思いながらも浮きブラの隙間から見える新田さんの乳首も目に入る。
「春ちゃん……」
顔が近づいてきたと思ったら違った。わたしの方から近づけていた。新田さんが目を閉じた。
ダメって分かってるけど、ゆうことを聞いてくれないわたしがいる。
唇が触れるその数ミリ前、『あたっくぅ~あたっくぅ~なぁーんばぁ~わぁ~ん♪』って誰かが歌い出した。
「コーチっ!」
―― えぇっ⁉ わたしは反射的に身体を離した。
でも、これは瑞希ちゃんの声じゃない。何事かと思ったら新田さんがスマホを手にした。そこが歌のでどころだった。アプリで着信設定してるらしい。それにしてもなんだこの歌⁉
新田さんが電話にでた。わたしは洗面台に向かって音をたてないようにシャツのシミを擦った。危なかった。もうちょっとでキスしちゃうところだった。
そういえばお尻が冷たい。触ったらスカートが濡れていた。さっき抱きつかれた時に押されて洗面台にお尻がついたからその時に濡れたんだろう。胸のリボンもまだ湿っているし、今日の魚座は水注意に違いない。
新田さんは携帯を耳に押し付け、「はい」を何度か発していた。その言葉が段々とハキハキしたものになって最後には部屋中に響く威勢の良い声になった。彼女は携帯を持ったまま直角くらいに身体を折り曲げてお辞儀をして通話を終えた。
なんで元気になったのか気になる。瑞希ちゃん付き合うとか言ってないよね?
「どうなったの?」染み抜きは終わったけど、洗うふりして背中を向けたまま聞いてみた。
「今までどおり頑張りましょうって」
「それだけ?」
「うん」
「ホントに?」
「なんで?」
「あ、なんか何度もはいはいって言ってたから」
「全会話知りたいの?」
「違うよ」
できれば知りたいけど、本当に何でもないならいいや。
「春ちゃん、ごめんね。ありがとう」
「うん」
「春ちゃんさ、お尻濡れてる。なんで?」
なんでってあなたが原因じゃん。
「脱いで乾かそう」
「いやいや、わたし新田さんみたいに」
「あ、名前、戻った」
「きょ、京佳ちゃんみたく脱ぎっぷり良くないから、わたし」
新田さんは満面の笑みを見せると、何事もなかったかのように上半身ブラのまま豪快にハンバーグを食べだした。
やれやれだ。でも、これは空元気ってやつなのかな。そんなに簡単に吹っ切れないよね。
「春ちゃんも食べようよ」
「うん。京佳ちゃんの小母さんの料理、美味しいよね」
「後で直接言ってあげて」
取り合えず、京佳ちゃんって呼ぶことにした。
「苦しくったってぇ~、悲しくったってぇ~、コォトォ~の中では、平気ぃ~なの♪」
食事のあと、京佳ちゃんの歌声が勝手に披露された。立て続けに5曲、いや同じ歌を5回熱唱した。
「春ちゃんも」
のど飴を口に放り込んでからマイクが差し出された。
「あ、でも、そろそろ」
「締めに一曲歌って」
「こういう時に何歌ったらいいか」
「なんでもいいじゃん。春ちゃんの好きな歌知りたいし。ね、ねっ」
押し切られてわたしは中島美嘉さんの『朧月夜』を歌った。京佳ちゃんがリズムに合わせて横に小さく揺れた。
付け足された歌詞の部分に関しては、聞く時によって余計に感じたりするけど、今この時はなんかしっくりきた。
「春ちゃんさ、女子大の手前位に有名な菜の花畑あるんだけど、春になったら一緒に見にいこうね」
「え、あ、うん」適当な返事をした。多分、瑞希ちゃんの部屋から見えるやつだよね。あそこには瑞希ちゃんと一緒に行く約束をしている。まあ、まだ先だし忘れるだろう。
そうだ、瑞希ちゃん。どうしよう……。まだわたしにはLINEも来ていない。
続く
※ 携帯の着信として引用した歌詞は
バレーボールを題材にしたテレビアニメ『アタックNo.1』のオープニングテーマ曲
作曲:渡辺岳夫 作詞:東京ムービー企画部(山崎敬之)
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※ 画像と記事は関係ありません。画像はAIアプリを使って生成したものです。
